ニュースのヘッドラインで、ギリシャが「緊縮」という困難の中で人民を破産から持ちこたえさせておくのに苦労しているのを見て、私が考えを巡らせているのは、コメンテーター(と誤った情報を得る大多数の人たち)の傾向として、「怠慢」の結果で危機が訪れたとギリシャの人たちを責めることです。これは、つまるところ、1番簡単な反応で、明らかに「そんな暮らしぶり」が長過ぎたからだと、気の毒な人たちを咎めるのです。これは世界中で見られる傾向で、生活保護を求める人の増加や、オーストラリアや米国のような「豊かな国」で(住宅自体は有り余っているにも関わらず)急増しているホームレスに対する反応も同じです。
たいてい、物事はそんなに簡単ではありません。努力が足りないと貧しい人たちを単に責めることはできません。ヘレナ・ノーバーグ=ホッジがこの話題について最近の記事で説明しているように(英文記事)、「ギリシャの経済問題は、企業や銀行のニーズを人々や地球よりも優先するグローバルシステムの産み出したものです。」
心底感じるのですが、ギリシャで感じられている危機は、「第三世界」では今に始まったことではなく長年に渡って感じられてきたものです。そして、「たゆまぬ経済成長」という神話が現実の壁にぶちあたり、その崩壊が全ての人々を直撃しようとしているのです。
ギリシャの危機は今なお続いていますが、チラチラと希望の光が見え始めています。人と人のつながりが強まり、分かち合いや助け合いの経済が生まれ、小規模で持続可能な農業の価値が見直されています。これは、私たちみんなにとっての新たな未来のビジョンかもしれません。
結局、私たちの暮らしぶりは、個々人の選択の結果です。私の場合、直感的に拒否してきたのは、「良い仕事に就いて大金を稼ぎ、大きな新しい家を買い(巨額のローンを組み)、子供たちにたくさん物を与え、云々」といった主流派のお題目で、私は世の中をより良くするために精力を注ぎ経験を活かすことを選んできました。今では、幸せで、健康で、しなやかな子供たちを、低所得で育てることに注力しています。とても裕福な(時にはストレスの素となる)地域内で暮らしながらです。私たちは主流派にうまくなじまないので、時々、私たちの選んだ暮らしが誤解されている気がします。
こんな風に訊かれるんです(ほとんどの場合は間接的に。母の友人から、興味津々の奥様方の旦那さん達から、もしかしたら私自身の妄想も混じっているかもしれません)。
どんな風にしてるの?十分に給料の出るフルタイムの仕事無しで、どうやって食べつないでいるの?そんな少ない収入で、どうやって子供たちを育てて、子供たちが好きな事をするのを助けられるの?実際のところどうやっているのよ?
えぇ、もう何十年もの間、高額収入を得るよりも私の信じることをしようと決めてきました。これは時には困難です。しかしそれは、そうやってきた年数分だけ、私以外の全てに、そしてこの地球により多くを譲ることができたということなのです。過去30年、長らく、フルタイムのボランティアで国際プロジェクトやキャンペーンをして、森林やコミュニティーを守ってきました。そうしたことを減らし、ほぼ全ての瞬間を「いること」に費やしているのが今の自分です。子供たちや母のために。これは順応であり、正直なところ、時には本当にナマケている気がします(遂に「ナマケモノ」になれたのかな?)。
でも、私たちは何とか生き延びています。物書き(ブログ)と国際環境団体のお手伝いで週200ドルくらいの収入になります。それで足りない分は、自分たちで建てたエコハウスの賃貸収入が生活費の足しになっています。
「どんな風にしているの?」その答えは、ほとんどの場合「とても簡素に暮らすこと」です。
外食せず、めったに映画に行かず、子供たちにコーヒー、スムージー、スナックを買わず、どこへ行くにも自前の食べ物と飲み水を持っていきます。自分(とパチャとヤニ)の髪をカットしています。「新品」は買わず、クレジットカード暮らしはしていません。
お金は、子供たちが一番好きなこと(サーフィンの競技会や遠征費)に優先的に使い、他のやりたいこと(音楽、ダンス、武道など、例を挙げれば切りがありません)については、周りの友人と同じように習い事に行けなくても気にしません。
パチャにはスポンサーがついているので、ウェアの購入その他のサーフィンに傾ける費用の心配が要りません。彼女が報われているのは、真摯な努力、素晴らしい態度、魅力によるもので、時には誤解を招きますが、ともかくそういう風に物語は展開しています。
何はともあれ、私がなぜこの記事を書いてるかというと、、右寄りで、統制的で、批判的で、保守的な考え方の波があるように思うからです。。そして、その考え方は今の主要メディアに蔓延していて、世界の問題を気の毒な人たち(または難民、イスラム教徒、何らかの政府援助を求めている人たち、一般的には「ルールに従わない」人たち)のせいにする傾向があると思うからです。
働いている人たちは、毎日のように不公平さを感じるように仕向けられています。彼らの納める税金のいくばくは失業者や身障者、あるいは極端な低所得者への補助金に充てられるからです。私たちは、こうした問題に気をとられて忘れてはいないでしょうか。一番のお金持ちは全く税金を払わずにすますあらゆる裏技をもっていることを。企業は常態的に、巨額な利益を海外に移して、納税義務を巧みに逃れていることを。現在の政府が優先している軍事費が、社会保障のコストをはるかに上回るものであることを。
自発的な簡素化を皆さんにおススメします。難題です(特に批判が はびこる先進国では)が、分かち合い、つながり、関係、コミュニティを通じて生き延びる良い準備になるかもしれないと思うのです。
【翻訳:沓名輝政】
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