2015-02-23

選挙の時・・・

2015年1月29日掲載分

投票する価値ってあるのでしょうか?
昨日私は母と連れ立って今度行われる州議会選挙の立候補者集会に行きました。良かった点は集会所が100人を超える地元の人で満杯だったことです。ほとんどの人は50歳以上だったと思いますが。
一方で良くない点は、時間が経つにつれ、私自身が政治に対して冷めた気持ちになっていくのを感じることなのです。政治とは人をだまして皆が民主的な権利を持っていると信じ込ませる巧妙に仕組まれたゲームのようなもの、そして企業の利害を反映した大きな政党の政策を実現するためのものと思えて来るのです。

私は以前政治運動の価値を信じて緑の党の候補者として7回選挙に出ました。この地域にかつて無かったほど大いに盛り上がり創造的で情熱にあふれた素晴らしいキャンペーンを繰り広げました。でもこの経験から私が学んだことは、選挙というものは最良の候補者や最良の政策を選ぶものではなく、宣伝に一番お金を使うことができる候補者が勝つものなのだということでした。そのお金はどこから来たかは問われずただ多ければ良いのです。私たちはお金が無いなりに最善を尽くしました。独創的なマーケティングによってメディアの注目を集めたり、草の根運動で地域の家を個別に回りメッセージを伝えようとしました。しかしながら、結果は見るに堪えないものでした。

今回、集会での候補者6人によるパネル討論で彼らを観察し話を聞いていて私はほとんど打ちのめされそうになりました。誰もが皆「成長」と「発展」、そして「自由貿易」と「技術的解決」などと同じ言葉を口にし、さらに地域の問題には、対立をあおるかのようにモスクを建てさせないとか迫害されたキリスト教徒を守るという話をするのです。私はより良い世界を築いていくための考えを聞きたかったのです。候補者たちの誰かが持続的な未来の実現を前向きに語るところを見たかったのです。「これ」や「あれ」や「あいつら」を阻止するなどいう話ではありません。

しかし、それ以上に最悪なことは私の内なる敗北感や絶望という感覚にあるのです。どうして私自身の心の中をはっきりと簡潔に語ることができないのでしょう。自分の言葉はうぶで世間知らず。こういう世相の中ではもう受け入れられないのかもしれません。私のような世界観はもう通常の学校教育の環境からは取り除かれてしまっているのでしょう。そして「はみ出してはいけない」、という皆が感じる圧力が資本家達に寄与する消費主義の促進手段として機能している、そういう思いやりのない社会となっているのでしょう。


もちろん私はこの週末に投票に出かけます。そしてもちろん緑の党(彼らは時々ありきたりな政治用語を駆使しすぎることはありますが)に投票します。しかしながら私はそれ以上の何かを求めているのです。もっと深くもっと意味ある何かを・・・いつかそれが実現すればいいのですが・・・。

【翻訳】中久保慎一

No comments: