2014-12-09

高校の同窓会 もう30年!

2014年11月17日分

なんだか幽霊がざわめく部屋に踏み込んだようでした。そこには、1984年に高校を卒業した同級生たちが集まっていました。私たちのほとんどは(多分ですが)、お互いを覚えていませんでした。みんな胸元の名札の文字を目を細めて読もうとしていましたから。だいたい、私たちの歳になると、あの文字自体小さすぎて見えません。大声で語り、笑う人々の声と大音量で流れる昔の曲を聞きながら、オロオロ、ウロウロしているうちに、少しずつ学校生活のハイライトを思い出していきました。

私はこの同窓会に高校時代の(そして今でも)親友のスザンヌと一緒に出席しました。なんと名誉なことでしょう。長年にわたって、そのほとんどを遠く離れて暮らしてきたにもかかわらず、親交を保ち、互いの人生を見守ってこれました。そして、自分たちの心に正直であることができ、信じるものを追求し人々の助けになることができたということにも心から感謝しています。私たちは、少しお酒がまわってみんながリラックスするのを待ちたかったので、わざと少し遅刻して会場に到着しました。出来る限りの心の準備をしていったのですが(高校時代の古い写真見たり、Facebookで人探しをしたりして)、それでもなんだか現実離れした感じは否めませんでした。

それでも、全体として競争めいた雰囲気がなかったことは新鮮でした。10周年の同窓会だったとしたら(もしかすると20周年の同窓会でさえ)、職業や収入、「成功」、もしかしたら外見(!)さえもが、もっと大事なことのように思えていたかもしれません。ですが、ごった返す会場でつまんで回った手短な会話では、何をしているかとか、何を成し遂げたかといったことではなく、子どもがいるかとか(熱烈な子ども談義が続くこともあります)、どこに住んでいるかとか、そういったことが話題になりました。それから、最終学年を共にした、いつも壁際で傍観するだけだったシャイだけれども聡明な友人が同窓会の主役になったことは喜ばしいことでした。国際的なコメディアンとしてキャリアを積んだ彼女は、私たちの中では、社会一般で最も「成功」した人だったのではないかと思います。

私はどんな風に同級生たちの記憶に残っていたか、というと、(多分良い意味で)いつも何かの運動に携わっている人、自分の信念と道義を貫く人、そして学校のミュージカルの主役、そんな感じです。私を選挙に勝たせようと熱心に投票したことを話してくれる同級生もいましたが、彼らは、もっと出来ることがあったのでは、と後悔しているようにも見えました。そして、私自身も、またもや、モヤモヤした罪悪感を感じていました。効果的に「変化」を生み出すために十分努力してこなかったし、今でも出来ていない、という罪悪感。この目を見開いて、とどまることを知らない地球と人類の文化の破壊をこの30年間見てきただけだという罪悪感。

同窓会で集った私たちは、芯の部分では昔のままでした。親切で優しい人、賢いけどオタクっぽい人、表向きは自信たっぷりに振る舞う人、運動が得意な人、手際よくとりまとめをする人(そういう人無しにはあの同窓会自体ありえなかったでしょう!)。30周年の同窓会は、なんだか死期を間近にした時行う禅の修行のようにも思えました。どう生き何をなした人生だったのか、どんな人たちと出会い、どんな経験や選択をしてきたのかを考えるような、つまりは私という人間の総体を振り返る集いだったように思います。そして、全体としては、私は満足しています。次の30年がどんなことになるか、楽しみです!

【翻訳】宇野真介

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