自分と他人を“比較する”のは絶対にすべきではないことでしょうか?
もっと早く、もっと大きく、もっともっと“ベスト”にという自我に突き進む世界に捕まることなく、どうしたら自分や子どもたちの自尊心を育むことができるのでしょう?
先週の金曜日、パチャとヤニは2人とも“地域別”クロスカントリー・ランニングのレースに参加しました(今年彼らの学校からこのレベルまで来れたのはたった3人で、パチャとヤニはそのうちの2人)。つまり2人ともかなり健康的で鍛えられていて、たくさんの時間を外で“身体的に”活動してきたのです。スタート地点に並んだヤニの身体が、長距離走に合ったタイプではない(背が高くて細い)ということはかなり明らかでした。でも彼はベストを尽くして38位でゴールしたのです。
パチャは(ヤニが言うにはバッタみたいな体つき)3位に入って“次のレベル”に進むことになりました。パチャはそこまで行けたことに興奮して(そして少しプレッシャーを感じて)、次のレースでは上位6位に食い込んで、州の選手権が行われるシドニーで走るチャンスを掴むという目標を見据えました。
これまで私が子どもたちに繰り返し言ってきたことは、ベストを尽しなさいということと、楽しんで!ということです。でも現実には、クロスカントリー・ランニングの選手権なんてそんなに“楽しい”ものではありません…きついし、疲労困憊するし、かなりつらい思いだってするようなことなのです。
パチャもヤニも、今回の体験を通して「いい人生」を送るためのレッスン(結果を得るために努力をすること、あきらめないこと)を学びました。でも子どもたちのそのプロセスは、私にとっては、自分の世界観(スロー、スモール、シンプル)と矛盾する、何かで“ベスト”になることを絶えず強く求められる状況に立ち向かうことでした。
一体私はどこまでパチャのこの競争をサポートしてあげればいいのでしょう?それともがんばる必要は全然ないと助言してあげればいいのでしょうか?子どもたちが人生の中でこういった努力する場面に直面したとき、私が彼らをサポートするために時間とエネルギーを使えば使うほど、私自身の人生の”追求”(人生を育むために私が出来るあらゆること)ができなくなったりもするのです。
時々私はこういう風に心の中で正当化してみます。パチャとヤニがもっと“成功”を収めれば、私たちのスローでスモールでシンプルなライフスタイルの選択がもっと一般社会から認められ、人を惹きつけるかもしれない、と。でも、よくはわかりません。私は地球の”いのち”を救おうともがいて、できそうなことは全てやってみようと少し絶望的になって、ただ困惑しているだけなのかもしれません。
私たちは、スロー・スモール・シンプルな暮らしを模索するなかで、富=成功という近代西洋的な価値観をすでに手放してきました。次のステップは、どう競争から降りていくか、なのかもしれません。
(翻訳:西嶋明子)
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