2010-08-20

8/9:和訳

ディープでスローなジレンマ~車編


昨日、私たちのオンボロ車のドアがはずれてしまいました!その時間に出かける予定がなかったことは不幸中の幸いでした。

確かにここ1ヶ月ほど、スライド式のドアは開けにくくなっていて、子どもたちはドアを使わずに窓をよじ登って車内に出入りしていました。そんなある日、駐車場で女の子から「なぜ窓から出なくてはならないの?」と尋ねられました。「ドアが少し固いからだよ」とパチャは答えました。

パチャが私にこの出来事を話してくれたとき、私は次からはこう返事したらとアドバイスしました。「あなたの生活はユニークだと思う?みんながみんな、ドアが普通に開く車を持っているわけではないのよ。F1カーのように、窓から出入りする車を持っている人は特別なのよ。」

・・とは言ったものの、私たちの車はF1仕様であるはずもなく、時速80km以上出そうとすると四苦八苦です。

実際、私たちの車に乗った子どもは、必ずといっていいほど気に入ってくれます。1983年製のトヨタ・タラゴを私たちはエミルーと呼び、彼女が坂を登るときにはみんなで応援します。「がんばって、エミルー!私たちはあなたが大好きよ!がんばって、エミルー!愛してるわ!!」と。

私の甥っ子で2歳になる息子グリフィンも喜んで「おんぼろワゴン」に乗り込みます。それほどこの車は快適なのです。サンルーフから空を見上げ、エンジンの音に消されないように大きな声て歌う。サーフボードをすべて後ろに積んでも、砂まみれの足を心配する必要なんてありません。

エミルーはこの6年、大変頼りがいのある車でした。ほとんど故障することなく、私たちを何千キロと連れていてくれたのですから。建材、植物、土、海藻、肥料、マルチ・・・、ウーンバで私たち家族がスローライフを営むために必要なものを、彼女と数え切れないほどドライブして運びました。

数年前に走行距離計が止まってしまったとき、これは「もう年をとりたくない」という彼女のサインなのかなと受け取りました。それ以来、彼女の遠出はなくなり、石油や水(私はこれらを満タンにしたことは一度もありませんでしたが)をあまりとらなくなりました。

最近、彼女は身体(車体)に何かトラブルを抱えていたのかしら?でも、これもエミルーの性格なのでしょう。決してあきらめずに、いつだって次の冒険を楽しみにしているという。

しかし、車を所有するということは、持続可能なライフスタイルを送ろうとしている私たちにとって最大の矛盾です。地球の血液ともいえる化石燃料を満タンにするのはとても心苦しいことです。

石油が流出して、ぐしゃぐしゃに汚れた鳥の映像を見ると、近年人類が選択し、それに加担してきた短絡的で身勝手な技術を使った馬鹿げた開発に対して怒りを覚えます。同時に、私もこの愚行の一部であるという深い罪の意識に捕われます。

ですから、私はできる限り運転を制限しています。週2回、学校もしくは地元の街へ、月1回、2時間かけてゴールドコーストへ。しかしそれも正解ではないのです。

世間では古い公害車を運転するのは「無責任」で、少しでも低公害の「新しい」車に代えるべきだといわれています。でも、新しい車を買うことは、さらなる温室効果ガスを生み出すことになりませんか?なぜなら車を作る過程で多くのエネルギーを消費するからです。だから私は長いこと「新しい」車を買うことを避けていました。環境に影響が少ないように・・・。みなさんはどう思いますか?

でも、私は今、行き詰まっています。別の車が「必要な」状態になってしまったからです。私が今暮らしているのは、公共の交通手段がとても限られた田舎です。ゴールドコーストに暮らす自分の家族とのコネクションは維持したい。でも古くなったエミルーは間違いなくリタイア寸前です。

私は中古車をウェブページで探しつつ、「ありえない車」(永遠にありえないのかも)、つまり地球を壊さない車を求めてしまいます。結論は、中古の小さいディーゼルカーになりました。電気自動車はオーストラリアではまだ普及していないのです。少なくともエコビレッジで有名なバイロンベイでバイオディーゼルを補給することができるし、いつか、自分でバイオディーゼルを自給することへの投資と思ったからです。

ちょっとしたスローダウンを積み重ねることで、いつの日か、私の「足を知る」ラインがシフトし、馬や自転車や自分の足で自分のすべての欲求を満たすことができる日がやって来るでしょう。

【翻訳:間宮加奈子】

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