2014年8月2日分
私たちはこの地でとても穏やかな冬を過ごしました。夜は冷えこみますが、日中は澄みわたる青空がきれいです。ほとんど毎日、登校前か下校途中にビーチに寄ります。パチャとヤニは波打ち際で踊り、このあたりを通るクジラやイルカたちに胸をときめかせ、黄金色の夕焼けにしっとりとした気持ちになって深呼吸するのです。
私たちは居心地よく守られた空間の中に暮らしています。安全で、家族の支えがあって、お腹一杯食べられて、感謝され誰かの役に立っている…、世界のそうでない部分の多くは恐怖と苦しみのうちに崩れ落ちていこうとしているようなのに。
ニュースやフェイスブックのタイムフィードは死と破滅で埋め尽くされ、誰かと誰かの間で非難の応酬が続いています。ここでは人々が通りを闊歩しているのに、メディアが切り取った(ときに強調した)イメージはぞっとするようなものです。傷つき、打ちのめされた人々の姿を見た視聴者は、居心地よい日常の世界に引きこもってしまいます。
気候変動が引き起こす混乱もあります。シベリアがメタンガス放出源になっているというニュースはシェアする気にもなれません。ショックで麻痺してしまいそうです…。
地球上に戦争を引き起こすメカニズムは、すべて化石のような経済モデルと捻じ曲げられた階級思考に端を発しています。そこには未来も、愛情もありません。人間が作り出したものは、人間の手で終わらせることができると信じましょう。
私たちにできること
どうすればいいのか…。生きているだけで、目撃しているというだけでいいのでしょうか。オープンハートでいれば、そして身の回りで日々目にしていることがもっと平和的に、もっと善い形で行えるとわかっているとき、無視したりしないと自分自身に約束すればいいのでしょうか。裏庭で始まっている自殺行為を解決するには…。
今日、Youtubeで見た動画には心を打たれました。動物園の小さな池に落ちたカラスを熊が助けたのです。熊はカラスを食べてしまうのではなく、元気を取り戻して(できることなら)、飛び立つようにとそこに放置しました。
この動画に、私はかつて環境活動家のブルーノ・マンサーがくれた手紙を思い出しました。川で溺れそうになっていた燕を助けた時のことを書いていたのです。(このことは、松谷冬太と一緒に歌にしました。)すべての希望が失われたと思っても、善き魂は手を差し伸べようとするのです。
人間は心の奥底に、全ての命に共通の法則を必要とする者たちを助けようとする本能があるのでしょうか。楽しみ、触れあい、笑い、愛する、全ての命が求めるこうした行いは、私たちが家族のもとへ帰るよう導いてくれる誰かを守り、養い、いたわる気持ちの表れなのでしょうか。私たちの魂は愛に支えられた慈愛の道を選べるほどに強靭でしょうか。
1 comment:
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