2014-06-08

「締めくくる」ということ

エアへの帰還(2014520日分)

 生きていると、やりかけだったことをやり遂げるために振り出しに戻って来るような気がします。何か新しいことを始めたら、例え途中で少し寄り道をしたとしても、それをやり遂げるために戻ってこなければなりません。この数ヶ月、人生の中で中途半端なままにしてきたことを解決しやり遂げようとしているな、と自分で強く感じてきました。ファー・ノース・クイーンズランド地域にある私たちの最初の家も、「締めくくり」を必要とすることのひとつでした。

 エアの町を離れ家族の近所に引っ越した時、それまでせっせと作った家と菜園には愛着がありすぎて売るということができませんでした。だから、「別の家族があそこでの暮らしを楽しんでくれるかもしれない」という望みに賭け、貸すことにしました。それから時が過ぎ、ウーンバの町で新しい暮らしをつくっていくのに手一杯になっていきました。家を建て、作物を育て、コミュティでの活動にエネルギーを注いで、そうしているうちにオーストラリアでの最初の家のことは半ば忘れてしまったのです。


 世界を巡る旅を終えオーストラリアに帰って来たとき、エアの家について決着をつけようと決めました。ちょうど、エクアドルでエル・ミラグロの雲霧林プロジェクトの一部を新しい管理人に引き継いできたように(新管理人のキースとマリソルはインタグで素晴らしい活動をしています)。エアの家がどうなっているか問い合わせたところ、状況は芳しくないことが分かりました。借りていた人が不安定で、あの家にはすぐにでも手を加える必要があるとのことでした。そうです、エアに戻る時がきたのです。

 ところが、これが中々大変なことでした。車で北へ16時間、子ども達を連れて行くには学校のお休みを返上しなければなりませんでした。それに「あの家を借りていた人たちは、持続可能なパーマカルチャーの家という私のビジョンを理解しなかったかもしれない」、その可能性に私は尻込みしていました。ですが、パチャとヤニは、幼い頃かけがえのない時を過ごしたあの家と町に帰ることを少しもためらいませんでした。私はまた(いつものように)子供たちに背中を押されたのです。

 エアの家はひどい姿をさらしていました。汚れて、ほったらかしにされ、壊れてボロボロでしたし、庭の果樹は切られて農薬に毒されていました。私たち家族のシンプルな最初の家は、すっかりダメになりかけていたのです。あの家は、私たちにそこで暮らす大きな喜びを与えてくれたという以外に、築100年という歴史をもち、もう100年維持されてしかるべきものです。パチャとヤニは、こんなにもひどい扱いをする人がいるということにショックを受けていました。最後の住人は屋内で犬を6匹飼っていましたが、犬たちを閉じ込めたまま出かけてしまうことがあったのは明らかでした。床や壁中に散らかったフンや泥を掃除することさえしていませんでしたから。私たちは、深呼吸をして腕まくりをしました。さぁ、仕事の時間です!

 作業をしていると、なにか懺悔をしているような気分になりました。こんなにも長い間放置してきた罰を受けているような。四つん這いになってゴシゴシ床をみがき、長年にわたって多くの人々を守ってきた家に頭を下げて謝罪しました。ガタガタいうハシゴから高く手をのばしてホコリや汚れ、主をなくしたクモの巣をはらい落としました。そうしながら、この家をもう一度人の憩える場にしようと誓ったのです。まだノミが跳ね回っていましたが、ようやくきれいになった床で寝泊まりしました。毎晩クタクタになって、簡単なお米料理をみんなで食べました。こんな風にして、私たちは3週間近く過ごしたのです。

 作業をはじめて数日後、ネットのニュースでサイクロン「イタ」がエアの町に直撃コースで接近していることを知りました。風が吠え、叩き付ける雨が割れた窓から吹き込み、私たちは家の奥へと避難しました。作業の手を止め、ただ嵐の行く末を見守る他ありませんでした。そんな時でも子どもたちはハツラツとしてもので、歌をつくって、雨風がおさまってきたころには外に出て踊っていたほどです。

 家を直すには山ほどの仕事があり(新しいキッチンも必要でした)、滞在期間をのばさなければなりませんでした。そして、凄腕の便利屋ジノの助けも必要でした。ジノは私の古い友人で、84歳のヘビースモーカーで、たっぷりコーヒーが飲めれば食事は一日一食でも大丈夫、そして何より、どんなものでも直してしまいます。作業が終わりに近づいたある日、ジノはアングルグラインダー(電動工具)で手を切ってしまいました。ダラダラと血が出ていましたが、ジノは「大丈夫。ハンカチでも巻いておけばいい」それで済ませようとしたのです。ハンカチ2枚にタオルが1枚、それでも出血を止められなかったので病院に行くように説得し、結局15針も縫わなければなりませんでした。それでも、翌朝には包帯姿でやってきて始めた仕事を終わらせました。ジノの血を少しもらっておけばよかったとさえ思います。なんて素晴らしいDNAでしょう!

 こうしてエアの家は救われ、今は売りに出されています。これからどうなるか見守っているところです。実際に「所有する」ことなしに、あの家を愛し大切にしてくれる人なんてどこにでもいるわけではないと、ようやく理解できました。「世界を私と同じように見ている人ばかりではない!」私にとっては、それが変わることない人生の教訓です。また一つ、素晴らしい経験をパチャとヤニと共有することができました。忘れることのできない、大切なことをたくさん教えてくれた出来事でした。あの子たちが感情的、肉体的な挑戦に動じずこなしていく姿にはいつもながら頭が下がります。

 こうしてエアでの暮らしを締めくくり、手離すことができました。さて、次は何が待っているでしょう。

(翻訳:宇野真介)

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