2012-03-22

3/20和訳:キャンドルナイトツアー報告・その1

3週間の日本滞在のあと、オーストラリアに帰国した私は、少しぐったりしています。けれども、今回のイベントを通して、私たちは互いを思いやる気持ちや、変化への希望を共に感じることができ、そしてなんとか、現実と向き合い続ける勇気を見出すことができました。



なんで私はこんなにも疲れて帰ってきたのでしょう?

ひとつには、パチャとヤニとずいぶん長いこと会っていなかったから。母が空港に迎えに来たとき、まず最初に、3週間も子どもたちから離れていたことを叱られました。私はこの日本での活動が、ゆくゆくは子どもたちの未来といのちを守ることにつながってほしいという願いを込めたものだということを、特に主張しませんでした。母にとって、この活動と子どもたちの未来はあまりにもかけ離れていて、無関係のように感じていると思えたのです。代わりに、ただ静かに座り、子どもたちを面倒みてくれたことに感謝しました。

パチャとヤニはとても元気そうで(もちろんぎゅーっとハグした後で)、友達や家族のことを話してくれました。その後、一緒に海へ行ったり、森の中を散歩しながら、木の下で笑ったり、歌ったり、踊ったりしました。パチャとヤニはすばらしい。彼らは大丈夫だと実感しました。



それから、おそらく、この社会の抱えている状況に圧倒されてしまったから。現代の高度な文明社会、一枚岩的社会である東京を目の当たりにし、ここオーストラリアに帰ってきた今、私の思考は絶望の淵をさまよっている状態です。

東京では、多くの人たちが孤独を感じていました。精神的に満たされず、自分自身を生きられない人たち。そして、その心にポッカリと空いた穴を埋めるように物を買いあさる人たち。私が住むこの田舎と比べても、彼らのスピードはとても速く、しかも、そのスピードは限界を知らないのです。



キャンドルナイトツアーが始まって最初の数日間、私はサティシュ・クマールのイベントに参加しました。彼はこう宣言しました。“東京には魂がありません。全てが死んでいる。単刀直入な言葉で申し訳ないのですが、しかし、今、私たちは大変な時代に生きているのです。”

私は共感した上で、でも、そこに住む人々の心には他人を想う気持ちがあること、そして事実、彼らはそこで生活していることについて考えました。その他、多くの彼の言葉に、私は深くうなずきました。親になること、気づくこと、教育、サービス、そして誰もが感じる喜び。そして私たちが大きな変革の時に生きていること。

サティシュは勇敢で、誠実で、喜びに溢れる人でした。彼は、私の音楽にも(冬太さんありがとう!)心を躍らせてくれました。彼と2日間を共に過ごしているうち、私も言い方がストレートになってきてしまったようで、「東京に住みながら子どもたちを守り、地球環境に優しく生きるにはどうしたらよいのでしょう?」と質問されたときには、つい本音が出てしまいました。「東京から脱出しましょう!そして、田舎で生き直しましょう」と。


東京にいる間、“死”について、たくさん考えさせられました。大震災、津波、原発事故からちょうど1年という時期だったので、無理もないかもしれません。多くの知人たちから震災のあった3月11日の体験を聞きました。その日どこにいて、何をしていて、その日からどう生活が変わっていったのか。そして、同時に、私は自分にも問いかけました。「もし今、この瞬間に大きな地震が来たら、どうするの?」と。

もし、私が、決して希望を捨てず、未来を切り開いていく、愛すべき仲間たちと一緒にいたなら、私は平静でいられるでしょう。けれどもし、たった1人で、コンクリートの壁に囲まれたホテルの7階の部屋の中、あるいは、地下鉄のプラットホームにいたとしたら…、私は神様に「今、その地震を起こすのはやめてください。せめてもう一度、愛するわが子に会わせてください」と願うでしょう。




今、私は、子どもたちと一緒に過ごしながら、東京、そして日本にいる友人たちに思いをはせています。危機の時代を好機に変えようと、取り組んでいる人たち。彼らのために、私はこう祈るのです。

いつ、どこに大きな地震が起きたとしても、彼らが心に平和を保ちながら、世界とともにあり続けることができますように。そして、それぞれが、それぞれの仕事を続けることができますように。

追伸:帰ってきた私がいちばんにしたこと。それは、子どもたちとのサーフィン!

【翻訳:林恵美】

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