私はあのナマケモノに最初に出会った日のことは忘れることができません。
それはまるで生きたロースト肉であるかのように手足を体にくくりつけるように縛られ、コンクリートの洗い場に転がされていました。出荷される日をじっと待っており、いずれそのやせた体が北西エクアドルの家庭の食用の一部となるのです。まだ殺されていないのはただ肉を新鮮に保つためだけなのでしょう。その苦しみは無言であり顧みられること無くそして不条理なものでした。この光景を前にして、最初私の内なる世界が崩れ落ちました。私は、必要悪として他者の苦しみから自らを切り離してしまう、人間の特徴的傾向を目の当たりにしていたのです。
とてもやるせなく悲嘆にくれましたが、この生き物を解放すべく、エクアドルの食文化に対して出来る限りの配慮をしながら交渉した結果何とかこのナマケモノを買い上げることができました。そしてこの美しい動物を膝の上に寝かせ、虫にたかられた緑色がかった毛をなでながら、永遠に変わることのない微笑をたたえた顔をじっと見つめていると、私はナマケモノというものは何と素晴らしい生き物なのだろうと感じ始めました。穏やかで疑う余地がないほど敵意が無く、とてもとてもゆっくりで。そしてナマケモノは少しずつ、でも着実に動きながら木に登っていったのです。あのナマケノは知る由もなかったでしょうが、この出会いがナマケモノでないことを理想とする日本という国で私たちの運動が始まるきっかけになったのです。
15年経ちナマケモノ倶楽部は続いています。寛容でかたよらず思いやりの心を持ち、年齢や経歴にこだわらない仲間たち。この運動が深みのある影響を持っていることに少し当惑しながらも、宗教的でない、環境や文化面での運動が様々な社会的変革-と言っても多くは魂のレベルなのですが-を生み出しています。私は遠くから見ていていつも新しいアイデアや活動に感銘を受けています。そして最も飾り気のないつつましやかな取り組み方法が最も大きな影響力を持っているように感じられます。それは愛そのものです。
そういう考え方や感性がほかの運動に浸透していくのを見るのは感動的です。ほかの運動家たちが、悪夢のような破壊行為の背景となっている世に蔓延した支配的なシステムのおかしな模倣に陥ることから守ってあげることができるのです。
そして、もちろん私たちは皆「ナマケモノになる」ことを目指し続けていますが、一方で私は最近、私たちの運動は映画ロード・オブ・ザ・リングにおけるホビット族の役割に似ているのでは?という認識を持っています。いのちを守るという使命を果たす事は出来ないと知りつつも、でも決してあきらめることなく、私たちのすべての活動の中にユーモアや人間らしさを見つけ出そうとしています。たとえそれがどんなに小さなことや一見重要に見えないことであっても。映画の中で、ビルボとフロドという裸足のホビット族が力も運も足りないとしか思えない絶望的な使命に立ち向かう姿を見て魔法使いのガンダルフは言います。「暗黒を押しとどめているのは、普通の人たちの毎日の小さな行いの積み重ねであるということが分かった」。
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