2014-09-03

生きるべきか・・・。

2014年8月14日分

コメディ俳優ロビン・ウィリアムズの自殺のニュースは、皆と同じく私にも(柔らかく静かにですが)感じ入るものがありました。その事件はさざ波のように世界をめぐりそして皆一斉に声をあげました。
「何故なんだ?」

もちろん答えは単純ではありません。しかしその疑問自体、世界中の人々が自らの生きる目的、方向、選択などすべてのことを問い直すきっかけとなったのではないでしょうか。ロビン、命と引換えに世界へこの問いかけを与えてくれたこと・・・感謝します。

何故?という問いに対し私なりに答えを探ってみると、彼を笑いの天才たらしめたのは彼の他者への深い思慮と思いやりであったという矛盾を深く感じ過ぎたから、ということが思い浮かびます。彼を愛する人々に深い悲しみを与えたとはいえ、こういう彼の人生の終わらせ方について私自身は怒りや非難という感情は抱きません。感情的痛みは肉体的痛み同様に激しいもので、希望を失うことが命を奪うことさえあるということは十分に理解できます。

多くの人は、あれほど成功し富を得て皆から愛されている彼のような人が、自ら人生を終わりにさせてしまうことを受け止めることができません。一方で、いわゆる持たざる人が生き抜くために、しばしば強い意志を発揮できるのは何故だろうと考えます。

また、人の業(karma)の深さについて語り、彼は命の転生の中で修行を積んでいくことになるのだと言う人もいます。私は(一般的には)輪廻転生を信じる者ではありますが、一方で他人の魂の行く末を予測する権利は誰にもないとも思っています。それは謎なのです。すべての命あるものはそれぞれ自らの生き方があるのです。私達ができるのは心に忠実にあること、そしてそれぞれの状況でどう感じるか、ということです。他者との共感や思いやりが自分を導くのであり自分の行動の徳が高いかどうかを秤にかけることによって心が動くものではありません。
実際、私はうつ(鬱)を病であるとは思っていません。特に今の混沌とした時代の中ではなおさらです。私達は人類として今、過去の世代が経験したり作り出したことがない情報や概念に取り囲まれています。例えば核兵器、大量絶滅、気候の不安定化、グローバル企業経済。

心を開いている人たちは感じ、時には行動し、時には隠れ、時には祈り、時には愛する人を抱きしめ、あるいは日の出の美しさに自らを癒す・・・。
人生の選択は必ずしもたやすくはありません。

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