(日本の作文コンテストに応募したエッセイ)
パチャ・ルーケ・ライト
私が自分自身と世界のために創りたい未来は、私たちが幸せに、かつシンプルに、地球を破壊することなく平穏に暮らすことができると皆が気づいている世の中です。
私の夢は、私にとって既に現実のものとなっています―でも、私は、他の人にも、このように暮らしたいと思わせることができたらと望んでいます。
私は地球という1つの惑星の上に暮らしています。そして、私はそれで十分なのです。
「豊かな」国といわれるオーストラリアの、私の住んでいる通りのご近所では、人々は、地球2個か3個分、あるいはもっと多くを必要とするような暮らしをしています。
このあたりのふつうの家には、4つの寝室と2つの浴室があるのが一般的です。菜園を持っている人はあまり多くなく、芝生だけはたくさんあり、それらは多くの電気と生活用水を使用します。どの部屋にもテレビがあり、子どもたちはあまり外に遊びに行きたがりません。親が子どもたちを学校に送り迎えする光景がそこら中で見られます。
私のクラスメートの多くは、食べ物や新しい洋服、あるいはおしゃれにたくさんのお金を費やしています。彼らの親は、たいてい仕事に忙しく、子どもたちの運動会や発表会を見に来る時間がありません。また、私の周りには、一日の多くをビデオゲームをして過ごし、体重や健康に問題を抱える子も多くいます。
私たち家族は、そういう「ふつうの」人とは違った生き方をしています。そして、「ふつう」とは違った暮らしをしていることで、私たちを貧しいと言う人もいます。でも、私は、自分たちは幸せだと思うし、地球に優しい暮らし方をしていることでとても気分がいいのです。
私たちは、ほとんどリサイクル素材でつくった小屋を家として住んでいます。洋服を含め、私たちが使うほとんどすべてのものは、誰かの「お古」です。
うちには、私たちの排せつ物が、循環して果樹の成長に役立つコンポストトイレがあります。電気は太陽から、水は雨水から、すべて無料でもらっています!
私たちは、庭で果樹や野菜を育て、多めにできれば隣近所の人にお裾分けをします。私たちはあまり肉を食べません。けれども、時々、友達が魚を捕まえてきて、私たちに分けてくれます。
毎朝、私はインコやワライカワセミなどの鳥の声で目覚めます。窓から木々を眺めれば、ワラビーが草を食んでいるのが見えます。そして、起き上がった私は、野生馬のオリーに餌をやり、彼と遊びます。
すべてが平穏で理にかなっています。私たちは、どこにいても、このような安らぎと自然とのつながりを見出すことができると思います。
私が自然とのつながりを最も実感し、「ああ、生きているなあ!」と感じるのは、海に入ったときです。サーフィンをしていると、波のエネルギーがぶつかり、押しあうのを感じることができます。そして、そのエネルギーに任せ、あっという間にワックスを塗っただけのサーフボードが波の上に立ったときの楽しさとスリルといったら!―美しい緑の波の上でのひとすべりは、とても言い表せません!
私は、何か大好きなことを見つけたなら、そのことこそが人生を愛おしいものにするのだということを、サーフィンで学びました。
おそらく、私たちが南米エクアドルで、ほとんど物を持たずに暮らしてきた経験があるから、ここオーストラリアにおいて、比較的物を持たずに暮らすことが容易なのでしょう。
エクアドルでは、私たちは未舗装の道路から歩いて1時間かかる、雲霧林の泥で作った家に住んでいました。近くの小川から水を汲み、それを飲めるように沸かしていました。熱いシャワーが浴びたい時は、朝に黒いビニール袋に水を入れておけば、午後には暖まった水で一洗いすることができました。
電気がなかったので、絵を描いたり、躍ったり、庭仕事をしたり、木にのぼったり、本を読んだり、森の中を歩いたり、近所の人を訪ねたり、馬と遊んだりと、ありとあらゆる遊びをしました。
今になって私は、このような経験は、何にも変えがたいものであることだと気付きました。私たちは今でも、毎日の暮らしにおいて、エクアドルと同じ習慣を実践しています。弟と私は、時々、一日に1時間以上踊る時もあります。バス停へ歩くときには歌を歌い、オペラを歌って競っては、目に涙が出るほど大笑いします!
家や近所にいない場合、私たちは、だいたい砂浜でサーフィンしたり、泳いだり、砂丘から飛び降りたり、もしくは岩場をのぞきこんだり、テントを張ったり、友達や家族とスケートをしたりして遊んでいます。
「地球1個分の暮らし」は、みなさんの誰もが手にできる最善のライフスタイルだと思います。お金を持っていれば必ず幸せだとは限りません。本当の幸せとは、人生における素晴らしい思い出と、それらを分かち合える友人や家族の存在によってこそもたらされるのではないでしょうか。
また、本当の幸せは、今あるものに感謝することだと思います。人々がそれらの「今、ここにある幸せ」に気づいた時、少しずつではあっても、彼らもその幸せを手に入れたいと思うことでしょう。
私は既に私の夢を生きています。私がこれからの社会に望むことは、誰もがシンプルで、平穏で、幸せな暮らしを自ら選ぶことができるということに、みなが気づくことです。
【翻訳:平戸実生】
シンガーソングライター、環境活動家、2児の母としてスローに生きるナマケモノ倶楽部共同代表、アンニャ・ライトのブログです。 . Anja Light (singer song writer, environmentalist and mother of 2 kids) shares her learning process of living a slow lifestyle for the Mother Earth.
2012-09-15
2012-09-13
Living my dream on One Planet by Pacha
Living my Dream on One Planet
(an essay written for a Japanese writing competition)
By Pacha Luque-Light
The kind of future I wish to create for myself and the world is in realising we can live happily and simply, in peace and without destroying our Earth. My dream is already real for me – but I hope I can inspire others to want to live this way too.
I live on one planet and that’s just enough for me.
All around me, in my street, in this rich country of Australia, people use 2 or 3, or even more planets to live. A normal house here usually has 4 bedrooms and 2 bathrooms. Not many people have vegetable gardens, just lots of lawn and they use a lot of electricity and town water. There are TV sets in every room and kids don’t seem to go outside very much, their parents drive them to school and everywhere else it seems.
Many of my classmates have lots of money to spend for food, new clothes or make-up. Their parents are often busy working and don’t have time to come and watch them in their sports carnivals or talent shows. There are many kids around me who spend a lot of their day playing video games and have troubles with their weight and health.
We live differently - some people say we’re poor - but I think we’re happy and it feels so good to be living gently on the Earth.
We live in a shed made into a house using mostly re-cycled materials. Just about everything we use, including our clothes, are second-hand. We have a compost toilet where the recycled waste is used to help our fruit trees grow. We get our electricity free from the sun and we get our water free from the rain from the sky! We have fruit trees and we grow vegetables and we share any extra we have with our neighbours. We don’t eat much meat, but sometimes our friends catch fish and share them with us.
Every day I wake up in the morning to the sound of lorikeets, kookaburras and other birds. I look out of my window into the trees and watch the wallabys nibbling the grass.
I get up to feed and play with our brumby (wild horse), Ollie. Everything is peaceful and right. I think people can find that peace and connection with nature everywhere they are.
One of the ways I feel most connected with nature and feel truly alive is in the ocean. When I surf I can feel the energy of the wave crashing and pushing and it ends up going so fast that you can stand up on a piece of fibre glass with wax and it is so pleasurable and thrilling: making that drop on a beautiful green wave is indescribable.
I have learnt that when you love doing something so much that this is what makes life so precious.
Partly it’s easy for us to live with less in Australia because we’ve had the experience of living with even less in Ecuador. We lived in a mud house in the cloud forest, one hour’s walk from the dirt road. We got our drinking water from a little stream and boiled it to be able to drink it.
For a hot shower we put some water in a black plastic bag and then by the afternoon we could have a really short hot wash.
We didn’t have any electricity, so we drew pictures, danced, gardened, climbed trees, read books, walked in the forest, visited our neighbours, played with horses and played all kinds of games.
I have found that these life experiences are priceless. And we are still having them everyday.
My brother and I sometimes dance for more than an hour each day; we sing as we walk to the bus stop and have an opera singing matches - laughing so much we have water in our eyes! When we are not at home or in the community we are usually at the beach surfing, swimming, jumping off the sand dunes or looking in the rocks or making a tee pee or skating around with friends or family.
Living on one planet to me is probably the best lifestyle you could really get. You don’t always have happiness when you have money. True happiness comes from good memories and sharing these memories with your friends and family. I think true happiness is being grateful for what you have. And when people see that kind of happiness, little by little, they want it too.
I am already living my dream. My hope for the future is that everyone realises that they can choose to live simply, peacefully and happily.
2012-09-10
9/4和訳:ヤニから学んだこと
写真:ある春のまぶしい朝、ヤニともう一人の男性がサーフィンの一番乗りでした。ところが、この写真を撮ってから30分もしないうちに、そこらじゅうに20人くらいの子どもが・・!列になった波乗りたちを見物しながら、自然とつながることを誰もが求めているのだと自信を持ちました。
最近あるメディアでこのような発言を読みました。
「自分の地位や知識に自信があって、精神的、経済的、社会的に安定している人間のほとんどは、いじめに加担しない。」
これは私に多くを物語るものです…
パチャとヤニが本能的に、かつ思いやりを持っていじめに対抗している姿をずっと見てきて、私は励まされています。それは時々本末転倒な状態になって、普通なら不適切と思われるかもしれないことにもなります。
ヤニ(とパチャ)は学校に通っている多くの先住民族の生徒たちよりも「先住民」ぽく見られます。これは彼らのルーツがどこにあるということに関係なく、この土地の先住民に寄り添う、まさに、私にとって誇らしい勲章です。地球との関係性を育んでいくという私たちのディープ・エコロジー的な世界観が、私たちの日々の暮らし方に反映されているからでしょう。
しかしながら、この国では、いまだに先住民であるということは、ある種のハンディキャップ、特に経済的、社会的“成功”に対するハンディキャップだと見なされます。政府は特別プログラムや助成金システムなどで先住民族の子どもたちをサポートしようという政策を打ち出していますが、現代社会が子どもたちに教える価値観は、根本的に先住民的な世界観とは真逆なものなのです!
なので、ヤニとパチャは「先住民」とよく間違えられることも気にせず、自分たちが誇りに思う個性的な感覚を発展させています。今のところ、自分たちのやり方に対して主流社会から制約を受けたりはしていないようです。
◆
最近のことですが、ヤニは先生(地元ブンジャラン・アボリジニ族の男性)から、気楽な感じでではありますが「君はまるでブラックだね」と言われたと話してくれました。それに対して、ヤニは「いいえ、ぼくはゴールデンです」と答えたというのです!
ヤニは、昨日学校で起こったもうひとつの素敵な話も教えてくれました。どうやら授業で海亀のことを勉強していたところ、彼らにとって最も脅威なものは何かと先生が生徒に尋ねたらしいのです。他の生徒たちはサメ、カモメ(雛を食べるから)、ボートなどと答えてましたが、ヤニの答えは「人間」。
先生は「違うよ。正解はビニール袋だ」と言いました。授業の後、先生はヤニの元にやってきてこう言ったそうです。「本当はヤニの答えは正解だよ。海亀にとっていちばん危険なのは人間なんだ。でも、もし先生がそう言ったら、そのことを理解できなかったり、ショックを受ける子が出てくるかもしれないだろ?」と。
主流社会での教育カリキュラムと現実世界の間に横たわるギャップに日々奮闘しなければならない先生から、ヤニの洞察力が認められたこと、少なくとも完全に否定されなかったことに、私はとても満ち足りた気分になりました。
【翻訳:西嶋明子】
最近あるメディアでこのような発言を読みました。
「自分の地位や知識に自信があって、精神的、経済的、社会的に安定している人間のほとんどは、いじめに加担しない。」
これは私に多くを物語るものです…
パチャとヤニが本能的に、かつ思いやりを持っていじめに対抗している姿をずっと見てきて、私は励まされています。それは時々本末転倒な状態になって、普通なら不適切と思われるかもしれないことにもなります。
ヤニ(とパチャ)は学校に通っている多くの先住民族の生徒たちよりも「先住民」ぽく見られます。これは彼らのルーツがどこにあるということに関係なく、この土地の先住民に寄り添う、まさに、私にとって誇らしい勲章です。地球との関係性を育んでいくという私たちのディープ・エコロジー的な世界観が、私たちの日々の暮らし方に反映されているからでしょう。
しかしながら、この国では、いまだに先住民であるということは、ある種のハンディキャップ、特に経済的、社会的“成功”に対するハンディキャップだと見なされます。政府は特別プログラムや助成金システムなどで先住民族の子どもたちをサポートしようという政策を打ち出していますが、現代社会が子どもたちに教える価値観は、根本的に先住民的な世界観とは真逆なものなのです!
なので、ヤニとパチャは「先住民」とよく間違えられることも気にせず、自分たちが誇りに思う個性的な感覚を発展させています。今のところ、自分たちのやり方に対して主流社会から制約を受けたりはしていないようです。
◆
最近のことですが、ヤニは先生(地元ブンジャラン・アボリジニ族の男性)から、気楽な感じでではありますが「君はまるでブラックだね」と言われたと話してくれました。それに対して、ヤニは「いいえ、ぼくはゴールデンです」と答えたというのです!
ヤニは、昨日学校で起こったもうひとつの素敵な話も教えてくれました。どうやら授業で海亀のことを勉強していたところ、彼らにとって最も脅威なものは何かと先生が生徒に尋ねたらしいのです。他の生徒たちはサメ、カモメ(雛を食べるから)、ボートなどと答えてましたが、ヤニの答えは「人間」。
先生は「違うよ。正解はビニール袋だ」と言いました。授業の後、先生はヤニの元にやってきてこう言ったそうです。「本当はヤニの答えは正解だよ。海亀にとっていちばん危険なのは人間なんだ。でも、もし先生がそう言ったら、そのことを理解できなかったり、ショックを受ける子が出てくるかもしれないだろ?」と。
主流社会での教育カリキュラムと現実世界の間に横たわるギャップに日々奮闘しなければならない先生から、ヤニの洞察力が認められたこと、少なくとも完全に否定されなかったことに、私はとても満ち足りた気分になりました。
【翻訳:西嶋明子】
2012-09-04
Lessons from Yani
Yani and another man were the first ones out in the surf on a bright spring morning -within half an hour of this photo, there were 20 kids out there - getting the confidence to go out there by watching the 'trail blazers'!
Slow Mother Blog
Lessons from Yani
I read a media statement recently that said:
"Few people who are truly confident in status, intellect and security (emotional,
financial, social or other) need to resort to bullying."
To me, this speaks volumes...
It's been heartening to observe Pacha and Yani challenge bullying instinctively,
compassionately and often turn upside down the phrases that may normally be deemed inappropriate. Yani (and Pacha) looks more ‘indigenous’ than many of the indigenous people in his school
For me, it is a mark of pride to be associated with the first peoples of this land – despite their heritage coming from a different part of the planet.
With our deep ecology world-view and constant nurturing of our connection with the Earth, it fits in with the way we live.
Yet still, in this country, to be aboriginal is deemed as a kind of handicap – especially to economic and social ‘success’. Government policies attempt to address this with special programs and funding to support indigenous children etc, but fundamentally the values modern society teaches our children goes completely against an indigenous worldview.
So Yani and Pacha, despite being constantly mistaken as ‘Aboriginal’ seem to have been able to develop a sense of their unique self that they feel proud of and that doesn’t
limit them in making their way in this world in any way.
Yani told me recently that his teacher (a local Bundjalung Aboriginal man) had told him, in a light-hearted, complimentary way: 'you're black'. Yani responded with: 'no,
I'm golden'.
He told me another great story that happened at school yesterday. Apparently they were studying the sea turtle in class and the teacher was asking them what the greatest
dangers were to it. Other kids said: sharks, sea-gulls (eating the hatchlings),
boats etc. Yani said: ‘Humans’. The teacher said ‘no – it’s plastic bags’.
After the class the teacher apparently came up to Yani and said that actually
he was right, it was humans, but that if he said that it may be hard for some of
the other kids to understand and may upset them.
I was so happy that Yani’s insight was rewarded, or at least not squashed completely, by a teacher who must grapple everyday with the disconnects between a mainstream education curriculum and the real world.
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