2010-05-18

5/10:和訳




パチャとヤニは昨日の朝、両手いっぱいの手作りの母の日のカードを持って私を起こしました。パチャは「母の日の1日、奴隷になります」という一言メッセージを書いていました。なんということ! 娘は私が一番欲しいものは奴隷だと考えているのかしら? 彼女は誰かが自分の奴隷となることを夢見ているのかしら?他人をコントロールしたり、支配したりすることは、果たして人間の本質なのでしょうか。

とにかく、私にとって、母の日はいつも厄介です。 いまだに、人々がより多くのものを買うようけしかける日でもあるからです。(平和と友好の誓いとして始まったものであるらしいのですが)。まるであなたが買物に費やす金額が、相手への愛の深さを証明するかのように。復活祭、クリスマス、ハロウィーン・・・。私たちはたくさんの「買物をする日」に囲まれています。こういう日がやってくると、私はとげとげした気分になります。
心が乱れ、機嫌が悪くなるので、子どもとマントラを唱えて心を静めます。「祝福しましょう、家族といることを。コミュニティとともにあることを。」
本当に大切なものは何か。私たちは、もう一度、オカネやモノではかる以外のモノサシを取り戻す必要があるようです。

しかし、現実の私は、学校でPTA会長に再選され、子どもたちのために「母の日用売店」を取りまとめなければなりませんでした。「お母さんを愛そう、地球を愛そう、自分を愛そう」というキャッチコピーを思いついたのですが、さすがの私もそれを売店のバナーに書く勇気がありませんでした。

既に、リサイクルの品を扱うことについて(表立ってではないけれど)不満の声(自分の子どもに「古い」ものを買わせたくない)が何人かの親たちからありました。それでも私たちは商品が魅力的に見えるように鉢植えの植物を準備したり、価格をとっても低く(1ドル)したり、手作りのテーブルをセッティングしたりと自分たちに出来るベストを尽くしました。

ここ最近、私のアイデアは新しすぎて、主流社会にとっては革新的で急進的であることを思い知らされています。まるで私の経験と能力がコミュニティの調和への妨げであるかのよう。他の言語を話したり、他の国に住むことが「怪しく」思われているのでしょう。ありのままの自分でいること、自由な意志と個の思想を持ち、質問したり、考えをわかちあったり、疑問を投げかけたり、ポジティブな社会変化を促していくことが、一部の人にとっては脅威に感じるようです。私のそれらの行動が、地球への深い愛から来ていることは、彼らにとってまったく問題ではない…。まあ、他人はともかく、私は自分に忠実に、謙虚さと慈悲を求めて、導かれる道を歩んでいきましょう。

さて、母の日の顛末ですが、パチャは終日、私の「奴隷」となり、ヤニは宣言した割には30分しか続きませんでした。
別の休日には、馬のオリーを連れて散歩にでかけたり、隣人を訪ねたり、馬糞(子供たちはお小遣い用にそれを袋に入れて売るんです)を拾ったりと、いつもスローライフを楽しみながら、素晴らしい秋の気候の中、素敵な日々を過ごしています。

【翻訳:田中みのり】

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