親愛なる皆様へ
ここ3ヶ月間、私はというとウーンバの森の中に自分たちの家を造るためバタバタしていました。それはそれは冒険と兆戦に満ちていて、いろいろ感じ入ったり学ぶことも多かったのです。
その倉庫というのは、友人とちょっと前にニューサウスウェルズ北部にある土地を共同購入した際に一緒についてきた物です。
最初に引っ越した時なんか、三四方が空いていて雨など降ったときには(大体いつも雨が降っているのですが)湿った空気が入ってきて、何もかもジメジメしてしまうのです。最初は倉庫の中でテントを張り、ちょっとしたテーブルにガスコンロをのせて調理をするという暮らしをしていました。
父のカースンがこの倉庫は使い物になるぞとピンと来たようで、三分の一のスペース(6m×8m)に中二階の部屋を作るというアイディアを出してきました。私はその新しい計画にすぐに飛びつきました。大工仕事に挑戦するなんて、選挙運動で疲れた私にとってはまさにうってつけだと思ったのです。そこで私たちはさっそく組み立て式フレームの思案を練って、それを作ってくれる会社を探し始めました。
*挑戦は成長の親
最近ではおそらく誰かにお金を払って自分たちが住むところを作ってもらい、その間はどこかで仮住まいするというのが一般的ですが、ここ倉庫ではそんな気にはなれません。私は自分が関わって、どうやるのかを学びたいのです。
すでに手元にある素材(私の場合土地を購入した時についてきた倉庫ですが)を利用してお金を節約しようと思っています。(つまりローンを少なくしてもっと自由になりましょうということです。)そして何かを作っていく過程を通して、子供たちにシンプルに生きるとはどういうことかを体験してほしかったのです。私は子供たちにその気になれば一日でだって何か作ることができるし、どんなことだって可能なんだということを学んでほしいのです。
そんなわけでここ数カ月というもの、気がつくと枠組みになるものやいろいろ必要な材料を何とか調達しようとして倉庫のあたりをうろうろしているのでした。
こういうのがSLOHAS(Slow Lifestyle of Health and Sustainability)流建築というのです。そうです! それは低価格で、(材料はリサイクルのものだし、質の高い人件費がただ? 私と父のことなのですけど!)持続可能(枠組みにはリサイクル材料やplantation timberを使いました。)そのうえ健康的(大工仕事で体を動かすのはい
い運動になるし自分で建てたという満足感は精神的にもいいものです。)でなくてはいけません。
おまけにマイペースでいいのです。しかも家族やご近所さんが手伝ってくれたり進み具合を見守ってくれたりするうちに、お互いの絆がより深くなり付き合いも広がっていくのです。
これを計画し当初は、スライド式窓や家の備品はリサイクル物から調達しようと思っていました。そしてなんと最近解体された建物からシンク付きキッチン台一式を見つけました。ほっといたら捨てられてしまう物を再利用するのはとても気持ちがいいものです。
そこでゴールドコースト(ここから3時間半かかるのですが)に一番安い資材のリサイクルショップを見つけたので、早速必要な資材全てを運ぶのに3トントラックを借りたのでした。この計画はなかなか順調に行きました。(トラックを運転するのは好きなのです。)
ところが順調だったのはうちの前までです。ここ何週間かずっと雨が降っていたので車が泥にはまって動けなくなってしまったのです。まずお隣さんが鉄線を木に括りつけて引っ張り上げようと試みました。しかしどんどん深みにはまっていきます。私はしっかり呼吸してパニックに陥らないようにしました。
トラックを引っ張り出すのにクレーン車など借りたら一体いくらかかるのかしらという思いが頭をよぎります。そのうち二軒先の人が小型のスズキ四駆車を持ってきて手伝いましょうと言ってくれました。
私はただただ事態が少しでも良くなるようにと泥を掻き出すばかりです。(このころまでには泥は車軸まできていました。)私は絶対この小さな車がトラックを引っ張り出すことなんてできないと思いました。私たちは車をつなぎ、エンジン速度を上げて、 やったあ!!
なんとトラックは引き上げられてふたたび道路に戻ったのです。
助け合い分かち合うコミュニティーパワーです。
その後私たちは近所の人たちと自家製ビールを片手に(私の疲れた神経もすっかり和らぎました。)ウーンバやそして家を建てることコミュニティーのことについて語らいました。
私はすごく恩になった気がしていたのですが、彼らの考えはというと、いつか反対にみんなが私の助けを必要とするかもしれないし、そういうことがこの地域のコミュニティーをしっかりしたものにしていくというのです。本当にその通りだと思います。
周りに住んでいる人々の事をよく理解し、自分にできることでお互い助け合うことによってこれから先何かあったとしても強い支えあいの絆ができるのです。事実これ以降に少なくとも二回は車が泥にはまってしまうということがありました。
私たちのお気に入りの海岸(シャークベイ)でのことです。私の古いバンが故障した時も近所の人が救ってくれたのです。車が動かなくなってしまったのは電波の届かないあまり車の通らない道でした。私とパチャとヤニは何とか走っている車を止めようとしました。町まで連れて行ってもらって助けを呼ぼうと思ったのです。(驚いたことにこんな状況にもかかわらず子どもたちの前ではそんなに怖いと思っていない自分に気がついたことです。なんだかなんとかなると思ったのです。この違いは、こんなとんでもない状況に陥ってしまった際に、自分を守るすべを知らない二人の人間~この場合私の子供たちですが~への責任感から来るものなのです。今回の経験で子どもたちが、どんな時でもパニック状態にならないで何とか事態を切り抜けられるのだということを学んでくれたらと思います。)
大工仕事も次の段階に来ました。枠組みをはめ込む作業です。枠はすでに組み立てられている(?)のですが重すぎて動かすことも持ち上げることもできません。そこで力より頭を使うことにしました。なんとパチャのスケートボードとちょっとした手押し車を使って運んだのです。
私たちは又中二階の床用にパイン材を注文しました。ところが品物がついた頃には雨が降っておりおまけに建築用合板(あまり弾力性がないのです)であることがわかりました。それでほかのものを探すことになりました。
早速中古屋さんに電話をかけてみると、マリンベニヤ板(コンクリートの型枠から出た)があることがわかったのですぐに取りに行くことにしました。そこで近所の人にトレーラーを借りてそれを私の古いバンにつなげてまたゴールドコーストまで運転していくことにしました。何もかも順調だったのですが、帰る途中
トレーラのフェンダーがとれてしまいタイヤに絡まってしまったのです。しかも高速道路です。~まったく大変なことになってしまいました。~私は落ち着いて車を止めて、あたりを見回しました。サトウキビ畑の真ん中のようです。
民家が800メートル先の丘の上あたりに見えます。携帯電話も電波の届かない地域で当てになりません。そこで走っている車(時速110kmでとばしているのですが)を止めようとしましたが、だれも止まってくれません。そこでパチャ、ヤニ、私は車から降りて木の茂みの中ぬかるんだ溝を進んで行きました。子どもたちはこの冒険をまるで楽しんでいるかのようです。
ぬかるみが私の膝まで来たときなど、パチャがこう言いました。「ママ、まだとうおどうと言うことないわよ!そのうち首までつかっちゃうかも!」私はニコッとするとこの子たちはエクワドルに戻っても大丈夫だわと思いました。
丘の一番上まで行くとロバートという名前の愛相のいい男性が住んでいました。
ちょっと電話をお借りできないでしょうかと尋ねたのですが、「何か困ったことでもあるの?」とゆっくりと聞いてきました。そしてすぐにタイヤをはずしたり着け変えたりするのに必要な道具をそろえると、私たちを車に乗せて引き返し車を元の状態に直してくれました。なんて親切で素晴らしい人なのでしょう。
*DNAの影響
とうとう中古のマリンベニヤ板は天井に収まりました。私はそれを見上げてはコンクリートの枠組みに熱帯林の木を使うのをやめるよう働きかけた日本でのキャンペーンを思い出します。
今回私たちはもっと丈夫で倫理にかなった材質を使えたのでとてもよかったと思っています。今度は床を取り付けるのですがその前に9mの梁を打たなければなりません。私が釘を打っていると父は感慨深げにそれ見ていて加治屋だった祖父の事を話し始めました。私の釘を打つ才能はDNAから来ていると確信したようです。
私は父のことが大好きです。でもその大部分は意識して好きになろうとしているのです。父は私の知っている限り気難しい人です。子どものころなどは父の癇癪に常にびくびくしていました。父は内心その癇癪と戦っていました。(今もまだ戦っているのですが。)厳格で頑固、並はずれで情熱的?な人です。でも父を見ていると自分と重なるのです。私にわかっていることは、もしかりに父とのつながりを切ってしまったら、私や私の子供たち(そしてその先に続く子供たち)とのあるつながりを失ってしまうということです。
もちろん父は私たちに何よりも自然を愛し尊敬する事を教えてくれました。そしてこのことが父と母がどんなことがあっても同意するものの数少ない一つです。父は人の役に立つことが大好きです。何かに挑戦したり、知っていることやできることをみんなでシェアするのも大好きなのです。今回父は、家作りを手伝うことにとても強い使命感をもっているようでした。
父は私の家族のみんなと同様、私のやることに批判的であると同時に誇りにも思っているようです。最近父がこんな事を言いました。「アンニャ、お前は年相応に見えるな。」(これはほめ言葉として言ったのではなくついぽろっと出た言葉だと思います。)私はしばらくの間この言葉についていろいろな思考を巡らせました。(そして父は自分が私のストレスに一役買っていることなどおそらく気が付いていないのだということや、生きていく中での自分の責任の重さや身体の問題などについて)そして次のような結論に至りました。私は年相応の40歳に見えるのでしょう。また今まだ生きてきた経験からその年に見えるべきなのです。私の年齢というのはどう感じどう考えるかであって現代社会があまりにもとらわれている皮膚の表面の事を言うのではないのです。
確かにもっと落ち着いた生活がおくれたでしょうし、その気になればクリームの類のものを塗ったりほほ笑んだりしかめつらしたりだけであまり生きているという実感がない?生き方もあったでしょう。でも私にとって見かけはあまり重要ではないのです。(そもそも鏡のない倉庫にいるのですから。)
私も父も今回の計画でのストレスで気分の浮き沈みがおおきかったのです。ある雨の降っている朝でした。(せっかく眠っているのを邪魔された後です。)父が孫のパティをからかっているのにカチッと来たのです。(それはもう50回位繰り返されていました。)私は父子どもたちにプラスの影響を与えるようにふるまえないのなら出て行ってと言いました。そして父は出て行きました。
そのあとすぐ実家(ここから二時間ほど離れたところですが)に電話をして父が無事に着いたか確かめました。そして父にこの出来事についての自分の考えと、いつ戻って来てくれても歓迎ですと言う手紙を書きました。私たちの関係は今でも風通しがいいのです。
ある意味そういった理由でパチャとヤニの父親であるマルセロと今だにコンタクトを取っています。それは容易なことではありませんし大変なことで、苦しい感情を呼び起こします。でもこれは私が始めた物語であり、今は子供たちの中に描かれているのです。そしてこの子たちはマルセロについてのみでなく、エクアドルのバイー・ア・デ・カラケスに住んでいる300ばかりの男性女性そして子供たちという個性豊かな彼の大家族についても知るべきなのです。
こう言うことが、人生を豊かに織りなしていくことを学ぶ過程だと思うのです。家族とのつながりをずっと保っていく方法がわからないのに、いったいどやって世界平和の道が見つけられるでしょうか?
今では、パチャ、ヤニ、と一緒に半ば完成済みの家で暮らしています。そこはスペースがたくさんあって、自由に満ちています。トイレはいまだバケツを使わなくてはいけませんし(汚物はどんどんと成長しつつある果物の木に与えています。)配管工事がおこなわれていないので電気が通っていません。それでも私たちはとても快適で、安全で守られているという感じがします。
ここはまさにコミュニティに支えられ守られている大自然の中のパラダイスです。そしていま私たちはまた来月日本とエクワドルへ行けることにわくわくしています。
SLOHAS お金を過剰に必要としない健康的かつ持続可能なライフスタイルを指す新しい言葉です。
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